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机(板状の物体)に壁紙を貼る手順

机(板状の物体)に壁紙を貼る手順

壁紙で板を簡単リメイク ここ最近と言いますかまぁずっとなんですけれども、壁紙をテーブルや机の天板とかキッチンの扉とか箱とかに貼る人って多いんですよね。 で、上面(前面)だけ貼る場合だとそんなに難しくはないんですが、横面まで巻き込んで裏までってなると一気に難しくなるんです。 難しいのは作業と言うよりその説明。 「角を合わせてピッと切って裏向けてギュッと押さえながら巻き込んでシュッとする云々・・・」みたいな擬音語たっぷりな天才肌型の教え方になってしまう。 これはいかんと一念発起。ちゃんと説明出来るようにここで写真を交えて説明したいと思います。 とは言え撮影用にちょうど良い感じの机なんてなかなか無いので今回は事務所に落ちていた板を机の天板に見立てて貼る手順を紹介する事にします。 実際に貼る物に置き換えながら見て頂ければと思います。 準備するもの 準備物はこんな感じ。今回使う壁紙は不織布(フリース)素材の物です。(紙素材の場合は今回の貼り方だとプクプク膨れるのでやめましょう。) 白いのが板です。元カラーボックスの棚板です。後は強力糊・糊入れるバケツ・ローラー・ハケ・カッター・スキージー・地ベラ・スコヤ(かっこつけて出したものの、結果使わずなぜ用意したのか自分でも不明) のりの塗り方と貼り方 まずは糊を塗る。とりあえず天板だけ塗ります。 糊が塗れたら位置を調整して壁紙を置きます。 生糊なので貼った後でも微調整が出来ます。一発勝負じゃないので安心して下さい。 で、空気を抜いていきながら圧着します。使うのはスキージー。 角っこの貼り方 で、ここからです。説明が難しいのは。まず裏返します。 で、板の直線に合わせてまず縦方向を切っていきます。 分かりにくいですが図の赤い点線の部分を切ってます。板に地ベラ(定規でOK)を当てればまっすぐ切れます。 横方向も同じように切っても良いのですが・・・そうすると角に少し隙間が出来て下が見えてしまいます。 なのでより綺麗に貼るために一手間掛けます。 写真のように一旦折って板の厚み分の所に印を入れます。 もちろん定規で長さを測ってもOKです。四隅とも同じように印を付けてそこから外に向かって切ります。 図で描くとこんな感じ。 で、印を付けた点から45度、板の角から45度の角度(ざっくりで良い)で切ります。 図で描くとこんな感じ。良く見ると全然角度違うけど雰囲気を感じてください。 実写だとこう。なんでこんな切り方するかは貼り付ける時に分かります。 ま、実写の方も角度測ってませんので角度おかしいですね、要するにそこまで気にしなくて良いって事です。 ここで気にしなければいけないのはこの三角形が小さいと貼り付けにくくなる(貼っても跳ねる)ので気持ち長めにしとくと良いでしょう。...

机(板状の物体)に壁紙を貼る手順

壁紙で板を簡単リメイク ここ最近と言いますかまぁずっとなんですけれども、壁紙をテーブルや机の天板とかキッチンの扉とか箱とかに貼る人って多いんですよね。 で、上面(前面)だけ貼る場合だとそんなに難しくはないんですが、横面まで巻き込んで裏までってなると一気に難しくなるんです。 難しいのは作業と言うよりその説明。 「角を合わせてピッと切って裏向けてギュッと押さえながら巻き込んでシュッとする云々・・・」みたいな擬音語たっぷりな天才肌型の教え方になってしまう。 これはいかんと一念発起。ちゃんと説明出来るようにここで写真を交えて説明したいと思います。 とは言え撮影用にちょうど良い感じの机なんてなかなか無いので今回は事務所に落ちていた板を机の天板に見立てて貼る手順を紹介する事にします。 実際に貼る物に置き換えながら見て頂ければと思います。 準備するもの 準備物はこんな感じ。今回使う壁紙は不織布(フリース)素材の物です。(紙素材の場合は今回の貼り方だとプクプク膨れるのでやめましょう。) 白いのが板です。元カラーボックスの棚板です。後は強力糊・糊入れるバケツ・ローラー・ハケ・カッター・スキージー・地ベラ・スコヤ(かっこつけて出したものの、結果使わずなぜ用意したのか自分でも不明) のりの塗り方と貼り方 まずは糊を塗る。とりあえず天板だけ塗ります。 糊が塗れたら位置を調整して壁紙を置きます。 生糊なので貼った後でも微調整が出来ます。一発勝負じゃないので安心して下さい。 で、空気を抜いていきながら圧着します。使うのはスキージー。 角っこの貼り方 で、ここからです。説明が難しいのは。まず裏返します。 で、板の直線に合わせてまず縦方向を切っていきます。 分かりにくいですが図の赤い点線の部分を切ってます。板に地ベラ(定規でOK)を当てればまっすぐ切れます。 横方向も同じように切っても良いのですが・・・そうすると角に少し隙間が出来て下が見えてしまいます。 なのでより綺麗に貼るために一手間掛けます。 写真のように一旦折って板の厚み分の所に印を入れます。 もちろん定規で長さを測ってもOKです。四隅とも同じように印を付けてそこから外に向かって切ります。 図で描くとこんな感じ。 で、印を付けた点から45度、板の角から45度の角度(ざっくりで良い)で切ります。 図で描くとこんな感じ。良く見ると全然角度違うけど雰囲気を感じてください。 実写だとこう。なんでこんな切り方するかは貼り付ける時に分かります。 ま、実写の方も角度測ってませんので角度おかしいですね、要するにそこまで気にしなくて良いって事です。 ここで気にしなければいけないのはこの三角形が小さいと貼り付けにくくなる(貼っても跳ねる)ので気持ち長めにしとくと良いでしょう。...

『ローラアシュレイ』の壁紙 販売開始しました。

『ローラアシュレイ』の壁紙 販売開始しました。

      ローラアシュレイは、ロンドンで始まった英国のブランドです。創業者夫妻によって、安らぎのある「家」と「暮らし」を美しく彩るブランドが誕生しました。以来、オリジナルテキスタイルを中心に、英国の豊かなライフスタイルを提案する無二の存在として世界中で愛され続けています。   ローラアシュレイの世界観が好きで、壁紙を貼ってみたいけど、 「壁紙がどこで買えるのか分からない。」 「なかなか好みの柄が見つからない。」 ローラアシュレイの壁紙は、日本での取り扱いが少ないので、そう感じる方もいらっしゃるかもしれません。 当店ではイギリスから厳選したローラアシュレイの壁紙を直輸入しております。 ローラ アシュレイの世界とイギリスのライフスタイルが感じられる柄が多数ございますので、ぜひチェックしてみてください。  

『ローラアシュレイ』の壁紙 販売開始しました。

      ローラアシュレイは、ロンドンで始まった英国のブランドです。創業者夫妻によって、安らぎのある「家」と「暮らし」を美しく彩るブランドが誕生しました。以来、オリジナルテキスタイルを中心に、英国の豊かなライフスタイルを提案する無二の存在として世界中で愛され続けています。   ローラアシュレイの世界観が好きで、壁紙を貼ってみたいけど、 「壁紙がどこで買えるのか分からない。」 「なかなか好みの柄が見つからない。」 ローラアシュレイの壁紙は、日本での取り扱いが少ないので、そう感じる方もいらっしゃるかもしれません。 当店ではイギリスから厳選したローラアシュレイの壁紙を直輸入しております。 ローラ アシュレイの世界とイギリスのライフスタイルが感じられる柄が多数ございますので、ぜひチェックしてみてください。  

みんなはトイレにどんな壁紙貼ってるの??

みんなはトイレにどんな壁紙貼ってるの??

実はというか全く隠しているわけでもないのですが、当店にご来店されるお客様には「まずはトイレを素敵にしたい!」というお客様がとても多いのです。 そしてさらに新築でもリフォームでもDIYでも「トイレのデザインは遊んでみようかな?」と考える人がこれまた多い。 個性的なトイレを作るのに輸入壁紙のデザインはうってつけな訳です。 とは言っても実際にはどんな柄を選べばよいのか迷うもの。 そこで今回はDIYの事例からプロによる施工までトイレの施工事例をまるっとご紹介しますので参考にしてみてください! まずは当店で施工をさせていただきましたモリスワールドの事例から。 こちらは貼る前。 こちらが施工後。 モリスの中でも有名な、いちご泥棒を。 こちらは貼る前。 こちらが施工後。 上部はウィリアムモリスのデイジー、下部はラッシュ(ドイツ製)の腰壁風の柄、 床はヘリンボーン柄をセレクトし、木の温かみが感じられる空間に変わりました。 可愛らしいDaisyがトイレを一気に華やかに、可愛くしてくれていますね!   輸入壁紙の施工事例。  こちら貼る前 こちらが施工後 鏡の面に北欧風の輸入壁紙をセレクト、それを引き立てる周りの壁紙はシンプルに白。 天井にアクセントの壁紙の柄に使われているグレーを選ぶことで空間全体のバランスを取ると共に落ち着いた雰囲気に仕上がりました。 柄自体は可愛いのですがグレーを基調にしたことで派手になり過ぎずシンプルでスッキリしながらも可愛い空間になりました! 次は新築のお客様。こちらも施工までご依頼頂きました。 海をイメージしたこの空間で使用したアクセント壁紙はCOLE&SON(イギリス)の壁紙。ベースはフランスのCASELIO(フランス)の壁紙です。 2Fはガラッと変わって人気のフラミンゴ柄。 当店ではもはや定番と言っていい程に女性に人気のあるrasch(ドイツ)のフラミンゴ柄。 これまでもトイレに限らず子供部屋などにも選んで頂いています。 こちらも新築で施工させて頂いたお客様。 BORASTAPETER(スウェーデン)の壁紙。 W900のパネルタイプを二つ繋げて一面に。 周りはrasch(ドイツ)の黄色の無地で合わせました。...

みんなはトイレにどんな壁紙貼ってるの??

実はというか全く隠しているわけでもないのですが、当店にご来店されるお客様には「まずはトイレを素敵にしたい!」というお客様がとても多いのです。 そしてさらに新築でもリフォームでもDIYでも「トイレのデザインは遊んでみようかな?」と考える人がこれまた多い。 個性的なトイレを作るのに輸入壁紙のデザインはうってつけな訳です。 とは言っても実際にはどんな柄を選べばよいのか迷うもの。 そこで今回はDIYの事例からプロによる施工までトイレの施工事例をまるっとご紹介しますので参考にしてみてください! まずは当店で施工をさせていただきましたモリスワールドの事例から。 こちらは貼る前。 こちらが施工後。 モリスの中でも有名な、いちご泥棒を。 こちらは貼る前。 こちらが施工後。 上部はウィリアムモリスのデイジー、下部はラッシュ(ドイツ製)の腰壁風の柄、 床はヘリンボーン柄をセレクトし、木の温かみが感じられる空間に変わりました。 可愛らしいDaisyがトイレを一気に華やかに、可愛くしてくれていますね!   輸入壁紙の施工事例。  こちら貼る前 こちらが施工後 鏡の面に北欧風の輸入壁紙をセレクト、それを引き立てる周りの壁紙はシンプルに白。 天井にアクセントの壁紙の柄に使われているグレーを選ぶことで空間全体のバランスを取ると共に落ち着いた雰囲気に仕上がりました。 柄自体は可愛いのですがグレーを基調にしたことで派手になり過ぎずシンプルでスッキリしながらも可愛い空間になりました! 次は新築のお客様。こちらも施工までご依頼頂きました。 海をイメージしたこの空間で使用したアクセント壁紙はCOLE&SON(イギリス)の壁紙。ベースはフランスのCASELIO(フランス)の壁紙です。 2Fはガラッと変わって人気のフラミンゴ柄。 当店ではもはや定番と言っていい程に女性に人気のあるrasch(ドイツ)のフラミンゴ柄。 これまでもトイレに限らず子供部屋などにも選んで頂いています。 こちらも新築で施工させて頂いたお客様。 BORASTAPETER(スウェーデン)の壁紙。 W900のパネルタイプを二つ繋げて一面に。 周りはrasch(ドイツ)の黄色の無地で合わせました。...

詩人としてのウィリアムモリス・「地上の楽園」の背景

詩人としてのウィリアムモリス・「地上の楽園」の背景

ウィリアム・モリスについてはデザイナーとしてや、それに基づく精力的な活動家のイメージが強い人物ですが、その一方で詩人としての一面も持ち合わせていました。 モリスは18世紀の英国で生まれ伝承されていたバラッド詩の形式で作品を綴りました。 特に有名な作品として、1868年から1870年にかけて刊行された「地上の楽園」という叙事詩が挙げられます。 とても長く綴られた作品で、序詩と24編に渡る構成から成りました。 詩人としても名声を得ることになります。 この作品が非常に長編となったことを考察すると、モリスの掲げた理想とも繋がります。 生活と芸術を統一させようという思想や実践の源流を作ったモリスなので、地上に自分が楽園を作るという理想が短文にはまとめられないような言葉としてのアイデアが湧き出てきたのではないでしょうか。 地上の楽園の世界観としては、ヨーロッパで広く信じられたいた伝説の美と平和、不死に恵まれた地上楽園に基づきました。 スカンジナビア民が遠くから地上楽園を求めて旅をし、ギリシャの古代文明が残る都市を発見するという中世への憧れや理想郷的な思想が感じられる作品でした。 また、地上の楽園は14世紀に活躍したイギリスの詩人チョーサーの最後の最高傑作と呼ばれる「カンタベリー物語」に倣って作られたと言われています。 14世紀のイギリスの人間喜劇の世界を表現した作品でした。 そしてカンタベリー物語も同じく長編作品でした。 男女の恋愛物語が中心で、あらゆる職種の登場人物や精神性の話から下賎な話までと幅広く描写をされた作品でした。 この物語を好んだモリスは、実際に複雑な部分も多くあった妻・ジェーンとの関係性についても内心では大切にしていた部分が大きかったのかとも受け取れます。 また、下層階級に人なども多く登場するカンタベリー物語でしたが庶民の欲望や理想などにもモリスが向き合う意思があったからこそ、その後の政治活動にも精力的に取り組めたではないかと考えられます。

詩人としてのウィリアムモリス・「地上の楽園」の背景

ウィリアム・モリスについてはデザイナーとしてや、それに基づく精力的な活動家のイメージが強い人物ですが、その一方で詩人としての一面も持ち合わせていました。 モリスは18世紀の英国で生まれ伝承されていたバラッド詩の形式で作品を綴りました。 特に有名な作品として、1868年から1870年にかけて刊行された「地上の楽園」という叙事詩が挙げられます。 とても長く綴られた作品で、序詩と24編に渡る構成から成りました。 詩人としても名声を得ることになります。 この作品が非常に長編となったことを考察すると、モリスの掲げた理想とも繋がります。 生活と芸術を統一させようという思想や実践の源流を作ったモリスなので、地上に自分が楽園を作るという理想が短文にはまとめられないような言葉としてのアイデアが湧き出てきたのではないでしょうか。 地上の楽園の世界観としては、ヨーロッパで広く信じられたいた伝説の美と平和、不死に恵まれた地上楽園に基づきました。 スカンジナビア民が遠くから地上楽園を求めて旅をし、ギリシャの古代文明が残る都市を発見するという中世への憧れや理想郷的な思想が感じられる作品でした。 また、地上の楽園は14世紀に活躍したイギリスの詩人チョーサーの最後の最高傑作と呼ばれる「カンタベリー物語」に倣って作られたと言われています。 14世紀のイギリスの人間喜劇の世界を表現した作品でした。 そしてカンタベリー物語も同じく長編作品でした。 男女の恋愛物語が中心で、あらゆる職種の登場人物や精神性の話から下賎な話までと幅広く描写をされた作品でした。 この物語を好んだモリスは、実際に複雑な部分も多くあった妻・ジェーンとの関係性についても内心では大切にしていた部分が大きかったのかとも受け取れます。 また、下層階級に人なども多く登場するカンタベリー物語でしたが庶民の欲望や理想などにもモリスが向き合う意思があったからこそ、その後の政治活動にも精力的に取り組めたではないかと考えられます。

友人と立ち上げたモリス商会

友人と立ち上げたモリス商会

ウィリアム・モリスが立ち上げた、モリス商会。その前身となったのは1861年に設立された、モリス・マーシャル・フォークナー商会でした。モリスを含めたバーン=ジョーンズやロセッティらの友人たち7名が集まります。19世紀当時のイギリスでは産業革命の影響により、効率重視の大量生産や消費により粗悪品が多く流通していました。そこでモリス・マーシャル・フォークナー商会では、室内装飾品(壁紙や染物、家具、ステンドグラスなど様々なもの)についてデザインから始まり製作も一貫して行ない、より良い製品が世にでることのクラフトマンシップの復活を目指しました。彼らは、教会建築のステンドグラスの製作や、設立の翌年である1862年に行われたロンドン万博博覧会にも出展し、家具や刺繍、ステンドグラスなどの製品を展示したことで複数の受賞という成果を出しました。そこからまた商会に多くの仕事が舞い込み、家具や室内装飾品をはじめとし、絵画や照明、タペストリーなど様々な製品の製作を行い、商会も国内外に広まっていきます。教会建築の仕事としては、サウス・ケンジントン博物館(現在のヴィクトリア&アルバート美術館)の中の3室の内装を手がけるという大きな実績も残しました。 商会は丁寧に質の高い製品を作りましたが、それゆえに価格が高くなってしまうというジレンマが生じます。庶民の暮らしに美しいものを根付かせることが目指すところではありましたが実際のところはなかなか一般庶民には手の届かない製品となってしまっていました。その後はメンバーの脱退や、ロセッティとの退職金をめぐる討論などモリスにとっても、商会にとっても厳しい出来事が続きます。1875年には、モリス・マーシャル・フォークナー商会を全て買い取り、モリスの単独経営により改めてモリス商会としての再スタートをはかります。製品は以前からのステンドグラスが人気はあったが、壁紙などの手頃なものもなるべく扱い、なるべく消費者に身近であることを心がけました。 また、モリス商会になってからは織物のテキスタイルの製作を始めました。機械は用いても、製品の質を下げずに生産ができたので、モリス商会にとってテキスタイル生産に力を入れた時期になりました。この頃に作られたデザインがその後も世に残るものとなります。 1880年代にはモリス商会のような工房が各地に設立され、「アーツ・アンド・クラフツ運動」に発展します。 このようにモリス商会はメンバーの脱退や経営苦難なども途中で経たものの、クラフトマンシップの復活や、「アーツ・アンド・クラフツ運動」への発展の礎を作るという功績も残しました。 モリスの死後も、忠実なアシスタントのヘンリー・ダリルによりモリス商会は存続し、第二次世界大戦の際に一度閉鎖をされましたが、その後テキスタイル会社により買い取られ、「モリス商会」というブランド名で約160年経った現在も、引き続き製品の販売が続いています。

友人と立ち上げたモリス商会

ウィリアム・モリスが立ち上げた、モリス商会。その前身となったのは1861年に設立された、モリス・マーシャル・フォークナー商会でした。モリスを含めたバーン=ジョーンズやロセッティらの友人たち7名が集まります。19世紀当時のイギリスでは産業革命の影響により、効率重視の大量生産や消費により粗悪品が多く流通していました。そこでモリス・マーシャル・フォークナー商会では、室内装飾品(壁紙や染物、家具、ステンドグラスなど様々なもの)についてデザインから始まり製作も一貫して行ない、より良い製品が世にでることのクラフトマンシップの復活を目指しました。彼らは、教会建築のステンドグラスの製作や、設立の翌年である1862年に行われたロンドン万博博覧会にも出展し、家具や刺繍、ステンドグラスなどの製品を展示したことで複数の受賞という成果を出しました。そこからまた商会に多くの仕事が舞い込み、家具や室内装飾品をはじめとし、絵画や照明、タペストリーなど様々な製品の製作を行い、商会も国内外に広まっていきます。教会建築の仕事としては、サウス・ケンジントン博物館(現在のヴィクトリア&アルバート美術館)の中の3室の内装を手がけるという大きな実績も残しました。 商会は丁寧に質の高い製品を作りましたが、それゆえに価格が高くなってしまうというジレンマが生じます。庶民の暮らしに美しいものを根付かせることが目指すところではありましたが実際のところはなかなか一般庶民には手の届かない製品となってしまっていました。その後はメンバーの脱退や、ロセッティとの退職金をめぐる討論などモリスにとっても、商会にとっても厳しい出来事が続きます。1875年には、モリス・マーシャル・フォークナー商会を全て買い取り、モリスの単独経営により改めてモリス商会としての再スタートをはかります。製品は以前からのステンドグラスが人気はあったが、壁紙などの手頃なものもなるべく扱い、なるべく消費者に身近であることを心がけました。 また、モリス商会になってからは織物のテキスタイルの製作を始めました。機械は用いても、製品の質を下げずに生産ができたので、モリス商会にとってテキスタイル生産に力を入れた時期になりました。この頃に作られたデザインがその後も世に残るものとなります。 1880年代にはモリス商会のような工房が各地に設立され、「アーツ・アンド・クラフツ運動」に発展します。 このようにモリス商会はメンバーの脱退や経営苦難なども途中で経たものの、クラフトマンシップの復活や、「アーツ・アンド・クラフツ運動」への発展の礎を作るという功績も残しました。 モリスの死後も、忠実なアシスタントのヘンリー・ダリルによりモリス商会は存続し、第二次世界大戦の際に一度閉鎖をされましたが、その後テキスタイル会社により買い取られ、「モリス商会」というブランド名で約160年経った現在も、引き続き製品の販売が続いています。

ウィリアム・モリスの妻 ジェーン

ウィリアム・モリスが1859年に結婚したジェーン・バーデン(のちのジェーン・モリス)について紹介いたします。 ジェーンはイギリスの絵画モデルであり、1839年にオックスフォードに生まれました。ジェーンはラファエル前派の画家たちを中心に絵画のモデルを務め、ミューズとされていたと言えます。モリスは、ラファエル前派の画家であったダンテ・ガブリエル・ロセッティとの出会いや弟子入りをきっかけに絵画の作成や、その後の内装芸術の分野に熱中していくこととなりますが、その際にラファエル前派のモデルを務めていたジェーンに出会い、貧富の差がありながらも結婚に至ります。 そして、新婚の二人が住む家として、仲間たちの協力のもと、あらゆる内部装飾に趣向を凝らした「レッドハウス」も完成し、そこから二人の夫婦生活が始まります。レッドハウスに住む間に、ジェーン・アリスとメイという二人の娘も生まれます。 しかし、実のところジェーンが愛していた人物は、モリスではなくモリスの師の画家、ロセッティでした。ジェーンとロセッティの不倫関係は1865年から1882年のロセッティの死の年まで非常に長く続いたとされています。ロセッティはジェーンをモデルにした数々の絵画も残しました。モリスも二人の関係を認知しており、ケルムスコットマナーという屋敷ではモリスとロセッティの共同名義で借りられました。世のスキャンダルから自分たちを守るための行動であったとされています。しかし、基本的にこの屋敷を主に使用していたのはジェーンとロセッティ。モリスはその間アイスランドへ出発し、翻訳などを行なっていました。その後ロセッティは神経衰弱などの症状があり、1874年にケルムスコットマナーを去りました。 こういった関係性を見るとモリスとジェーンの間柄は形だけの不遇な結婚であったのかという疑問が湧いてきますが、ジェーンは絵画モデルだけではなく、刺繍家としての一面もありました。ジェーンには結婚当初から刺繍の才能があり、モリスのデザインしたカーテンやファブリック類に刺繍を施すことで、芸術をさらに深める作品をモリスと共に残しました。 ケルムスコットマナーの寝室もジェーンと娘により、晩年のモリスのために美しく装飾されました。 ジェーンは、ロセッティとの関係という複雑な問題を抱えつつも、芸術活動の面において繋がりがあった二人は、結婚という結びつきを最期まで果たしたと言えるのではないでしょうか。  

ウィリアム・モリスの妻 ジェーン

ウィリアム・モリスが1859年に結婚したジェーン・バーデン(のちのジェーン・モリス)について紹介いたします。 ジェーンはイギリスの絵画モデルであり、1839年にオックスフォードに生まれました。ジェーンはラファエル前派の画家たちを中心に絵画のモデルを務め、ミューズとされていたと言えます。モリスは、ラファエル前派の画家であったダンテ・ガブリエル・ロセッティとの出会いや弟子入りをきっかけに絵画の作成や、その後の内装芸術の分野に熱中していくこととなりますが、その際にラファエル前派のモデルを務めていたジェーンに出会い、貧富の差がありながらも結婚に至ります。 そして、新婚の二人が住む家として、仲間たちの協力のもと、あらゆる内部装飾に趣向を凝らした「レッドハウス」も完成し、そこから二人の夫婦生活が始まります。レッドハウスに住む間に、ジェーン・アリスとメイという二人の娘も生まれます。 しかし、実のところジェーンが愛していた人物は、モリスではなくモリスの師の画家、ロセッティでした。ジェーンとロセッティの不倫関係は1865年から1882年のロセッティの死の年まで非常に長く続いたとされています。ロセッティはジェーンをモデルにした数々の絵画も残しました。モリスも二人の関係を認知しており、ケルムスコットマナーという屋敷ではモリスとロセッティの共同名義で借りられました。世のスキャンダルから自分たちを守るための行動であったとされています。しかし、基本的にこの屋敷を主に使用していたのはジェーンとロセッティ。モリスはその間アイスランドへ出発し、翻訳などを行なっていました。その後ロセッティは神経衰弱などの症状があり、1874年にケルムスコットマナーを去りました。 こういった関係性を見るとモリスとジェーンの間柄は形だけの不遇な結婚であったのかという疑問が湧いてきますが、ジェーンは絵画モデルだけではなく、刺繍家としての一面もありました。ジェーンには結婚当初から刺繍の才能があり、モリスのデザインしたカーテンやファブリック類に刺繍を施すことで、芸術をさらに深める作品をモリスと共に残しました。 ケルムスコットマナーの寝室もジェーンと娘により、晩年のモリスのために美しく装飾されました。 ジェーンは、ロセッティとの関係という複雑な問題を抱えつつも、芸術活動の面において繋がりがあった二人は、結婚という結びつきを最期まで果たしたと言えるのではないでしょうか。