ダンテ・ガブリエル・ロセッティの紹介
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1856年にウィリアム・モリスと出会い影響を与えた人物、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ。のちのモリス商会のメンバーでもあります。今回はそのロセッティについて紹介します。
ロセッティは1828年にロンドンで誕生しました。幼い頃から美術や文学に関心があり、絵画学校に入学した後、1846年にはロイヤル・アカデミー付属美術学校に入学しました。
1848年3月には、画家のフォード・マックス・ブラウンに弟子入りを志願する手紙を書き、非正式の弟子に入ることを許されます。しかし、自らがラファエル前派でも反発していた古典的な技法をブラウンが教えることから、ブラウンの元を去ることになります。
同じ頃1848年には、ハントやミレイらの若い画家メンバーたちとラファエル前派を結成しました。ラファエル前派については以前の記事をご参照ください。19世紀当時の美術のあり方に異を唱えて活動していたラファエル前派の思想に、その後モリスやバーン=ジョーンズは影響を受け、その後「アーツ・アンド・クラフツ運動」が起こることに繋がっています。しかし当時のラファエル前派は、ラファエロの名を汚したとして世間からの批判も浴びることが多く、その後のロセッティの作品にはラファエル前派の名を語ることはありませんでした。公的な展示などを行わないものの、ロセッティの水彩画は売れ行きがよく、美術評論家のジョン・ラスキンにも知り合います。その後ロセッティは1856年にオックスフォードの学生であったモリスとジョーンズに出会い、オックスフォード大学の学生会館の天井・壁画制作を共に行うなどしました。
ロセッティの作風としては水彩画を扱うことは聖書、アーサー王、ダンテなど文学的な要素を持つテーマで様々でしたが、後期は主にモデルを使った女性画の作品がほとんどでした。ロセッティは女性関係が派手なことも有名で、作品によく登場するモデルのファニー・コンフォース(妻・リジーの死後間も無くから関係が始まりました)や、モリスの妻のジェーン・モリスとの愛人関係がありました。特にジェーンをモデルにした作品は数多く、関係も亡くなる頃まで続きました。複雑な関係であったが故に、その後のモリス商会のメンバーからもロセッティは外れることになります。不倫関係をきっかけに最後は疎遠になってしまったロセッティとモリスでした。
しかしながら、当初は聖職者を目指していたモリスが画家、及び室内装飾などの芸術の道を志すことになったのは、友人のジョーンズやその師匠であったロセッティとの出会いがきっかけでした。短命であったラファエル前派ですが、その意志を継ぎ「アーツ・アンド・クラフツ運動」が全世界に広まったことは、ロセッティとの出会いやその芸術性が影響していると言えるでしょう。