ウィリアム・モリスが過ごしたレッドハウス
レッドハウスとは
レッドハウスは、モリスが友人の建築家フィリップ ウェッブと協力して建てた自邸です。
ジェーンとの結婚を決めたモリスは、1858年の秋にケント州のアプトン村の近くのベクスリー・ヒースに果樹園と牧草地を見つけて土地を購入しました。
そこに家を建てれば、リンゴとサクラの樹に囲まれて暮らせるという点が気に入ったからだといいます。
レッドハウスは、1859~1860年に建設され、モリスとジェーンは新婚時代を過ごしました。
モリスとウェッブは、1858 年の夏にセーヌ渓谷を旅し、途中で中世の建物をスケッチしながら、この家のデザインのインスピレーションを得ました。
バーン=ジョーンズや当時の師である画家のロセッティらも内装に協力しました。
外観は中世ゴシックを思わせる二階建ての住宅。
レンガを積み上げた赤い外壁に木々の緑が壁を覆っています。
急勾配の赤い瓦葺き屋根にはいくつも取り付けられた煙突。
また様々な形の窓が、重厚な外観に軽やかなリズムを奏でています。
庭園からレッドハウスを見て正面に見えるとんがり帽子のような屋根は井戸。
デザイン上のアクセントになっています。
外観だけではなく、内装にも生活と芸術の一致を目指したモリスらしいデザイン思想が散りばめられています。
レッドハウスへの入り口
細部までこだわる内装デザイン
モリスはレッドハウスの内部装飾のために、壁紙、家具、窓(ステンドグラス)など様々な箇所を仲間との協力でデザインしました。
美しいエントランスホール
控えめなアーチ型のポーチを通って家に入ると、家の中で最も美しいエントランスホールに出ます。
玄関ホール
右側にはベンチと食器棚を組み合わせたような家具。
ウェッブがこの家のためにデザインしました。
緑の部分は食器棚。ドアパネルはマロリーの『アーサー王の死』の一場面をモリスが描きました。
オリジナルの家具
応接室のセトル(ベンチ)
側面から
梯子段が付いていて上に登れるようにデザインされています。
実際に屋根裏への登り口として使われていたようです。
屋根裏にはりんごが貯蔵されていたとか。
かつては、ロセッティからの結婚祝いであるダンテをテーマにした場面が描かれた 3 つのドアがありましたが、これら3枚のパネルは、バラバラにされてそれぞれ贈与または売却されたようです。
モリスの苦手なこと
ステンドグラスは、人物をバンジョーンズ、鳥を建築家のウェッブ、草花をモリス自身が描いたもので、素晴らしいムードをかもし出しています。
モリスには苦手なことがあったようで、それは「動物や鳥」を描くこと。
それぞれに役割分担があったようです。
人物はバンジョーンズデザイン、鳥はウェッブデザイン
一階にはめ込まれたステンドグラス。
奇抜な塗装天井
きしむ階段を登って、天井を見ると、モリスの描いた奇抜な塗装天井が現れます。
デザインのヒントを得た庭の植物たち
レッドハウスの庭には四季の花々が咲き乱れ、果実もたわわに実っています。
壁紙といえば、Trellisトレリス(格子垣)というモリスの初期のデザインの壁紙も、レッドハウスのローズの垣根からインスピレーションを得て製作されました。
アーツ・アンド・クラフツ運動
以前に紹介をした、のちに世界に広がる「アーツ・アンド・クラフツ運動」もレッドハウスから始まったと言われています。
大量生産の粗悪品が溢れている社会への気づきを持ったモリスが、芸術家の仲間たちと共に、細部に至るまでをオリジナルで作り上げたレッドハウスが生活に豊かさを感じる空間となり運動の原点になりました。
1961年にはレッドハウスの建築が発端となり、ロセッティ、バーン=ジョーンズ、ウェッブら仲間と共に室内装飾品を製作販売するモリス・マーシャル・フォークナー商会(後の1875年にモリス商会となる)を設立しました。
手工業者の労働に対する尊厳を取り戻し、作る人にも消費者にも豊かさや喜びが与えられるべく芸術と生活を融合するというモリスの思想が、形になるきっかけとしてレッドハウスの存在は欠かせなかったといえます。
モリスが5年で手放したレッドハウスの現在
これほど丹精かけたレッド・ハウスに、モリスは5年しか住んでいません。
収入や立地、病気などいくかの不幸が重なり、ついにレッドハウスを手放すことになります。
その後、様々な持ち主に渡ることにはなりましたが、2003年からはナショナルトラストが管理しています。
160年以上たった今もレッドハウスは現存し、当時の美しい装飾が修復され再現されています。
若き日のモリスがレッドハウスでどんな生活をしていたのか思いをはせてみてはいかがでしょうか。