ウィリアム・モリスの盟友 バーン=ジョーンズ
ウィリアム・モリスの生涯の友人(エドワード・コリー・バーン=ジョーンズ)は、画家としても著名であり、モリスやアートアンドクラフツ運動の中でも大きな存在の人物です。
1853年、モリスが聖職者を目指して入ったオックスフォード大学エクセター・カレッジで二人は出会いました。学生生活のなかでモリスとジョーンズは、ジョン・ラスキンの思想や建築・美術を通じてラファエル前派に興味を抱き、聖職者ではなく、ジョーンズは画家、モリスは建築家を志すようになりました。
その後1856年、バーン=ジョーンズは憧れていた芸術家のロセッティに従事するためロンドンに移り住み修行を積みます。その熱心な姿からロセッティよりアトリエを明け渡して貰う事になり、モリスもそこに同居し始めます。その後もバーン=ジョーンズはロセッティが製作していたオックスフォード大学の学生会館の天井・壁画制作にモリスとともに参加したり、ステンドグラスの下絵の作成を行ったりと精力的に画家への道を進んで行きました。
1861年には「モリス=マーシャル=フォークナー商会」が立ち上がります。モリスを中心にバーン=ジョーンズやロセッティらも参加しました。モリスの自邸の「レッドハウス」の建築をきっかけに発足した商会は、室内装飾の全てを手がける意識を持ち、機械作業や産業革命化社会へのアンチテーゼの意志もありました。
バーン=ジョーンズは商会の中で、ステンドグラスやタペストリーなどのデザインを手がけます。特にステンドグラスの伝統の復活には力を入れて製作活動を行いました。画家としてもキャリアを積み上げながら、晩年のモリスが設立した「ケルムスコットプレス」の製本内にもデザインを提供します。
生涯の盟友でありビジネスパートナーでもあったウィリアム・モリスとバーン=ジョーンズ。お互いのメインコンテンツは違えど、芸術や美的感覚に関する価値観に重なるビジョンがあったからこそ、長年協力し合いながら、あらゆる功績を伴う製作や活動につながったのでしょう。